バンドって
22、3歳でやる気のない奴が辞めて
25歳で覚悟がない奴が辞めて
28歳で諦める奴が辞めて30歳まで残った人は残る。
音楽で生活できてるか、ソロとしてでも音楽でお金を稼いでいる。って言ってたな🙄
— NaNa榎戸-Reptile (@NaNa_Reptile) 2017年2月20日
っていうツイートがプチバズりました!!
のでそーんな事について綴ろうと思います。
子供の頃っていろんな人から夢をよく聞かれましたよね!
「大きくなったら何になりたいー?」って!
私の抱いた夢と母の協力
私の幼少期の夢はバレリーナでした!
母は私のやりたい事を何でもやらせてくれました。
バレエ教室に通わせてもらい、
他にもピアノ、お絵かき教室と習い事はいっぱいさせてもらい、たくさんのチャンスをくれました。
今思うとクラシックバレエってめちゃめちゃ高い習い事なんですよ!
レッスンだって、発表会でレンタルする衣装もバカ高いし。
他にも沢山習い事をさせてもらっていたので私のやりたい事にかけたお金は結構だったんだろうと思います。
決してボンボンではないです!
母はずっとパートしていたし、リーマンショックもあったし。
中学の受験の時に私立はお金高いから絶対公立の高校に入らなきゃ!って私が思ったくらいの家庭です。
そんな家庭の感じとかを子供の私は感じず、
中学に上がるとせっかく習わせてもらったバレリーナっという夢は諦めて、他に打ち込むものが欲しく、アニメの影響でテニスをやりたいと言い出しました。
中学にはテニス部がなかったので、私は友達とテニス部を立ち上げるのでした。
私はリーダーシップをとるようなタイプではないのに部長とかやっちゃって。笑
しかし顧問になってくれる先生はいなかったので母が顧問的な存在になり部活として活動できる環境にしてくれました。
母もテニスを習い始め、コーチを引き受けてくれる方を探してくれたり、他校との練習試合をセッティングしてくれたりと今思うとうちの母ちゃんすげなー!
こう書くと気の強いしっかり者の母ちゃんのように見えますが、そーではないのです。
中学の教師は協力的ではなく面倒臭そうな感じでしたし、そのうちにテニス部 (部にはできずクラブでしたが) には後輩も入ってきまして、中にはテニス経験者の気の強い親御さんがいたりして意地悪な人で、
母は私の為にテニスを始めた初心者だし優しくて人に強く出れない人なのでとても苦労をかけました。
それでも私のやりたい事には全面的に協力的でした。
大人になるまでどんなにか大変だったか気づかなかったんですねー。
そのうえ私は超寂しがりやでへそ曲がりなんですよ!笑
私には兄がいるのですが、子供の頃はよくリビングで母が兄の勉強を見てました。
私も見てもらいたくて、ちゃんと解こうとすれば分かる問題をわざと「分からない!!!」っと母に見てもらった事もあります。
兄の高校、大学受験には必死なのに、私の時は放置というかまー私がいろんな事に好奇心旺盛で勝手に行動したからだろうけど、「兄の進路は大事なのね。」そう思ってました 笑
先に書いたように自由にやらせてもらって協力してもらっていたのに。
今思えば兄は私がやりたいと言い出したからついでにやらされたピアノくらいしか習ってなかったし。
そーいえば私は小学校高学年の時は犬を飼いたがり、トリマーになりたいとか訓練士になりたいとかほざきまして、、、犬、飼ってもらいました。
昨年末に15歳で他界しました。
私は結局トリマーにも訓練士にもなっていませんが、陸は私の人生ででっかな存在になりました。飼ってくれてありがとう。
もし泣きの演技をして下さいと今、言われたとしたら陸の事とおばあちゃんの事を懐かしみ3秒で泣ける自信があります 笑。
そんなこんなで高校に上がり、私はROCKに出会いました。
これまた1万円の初心者セットのベースを親に買ってもらいバンドの路に進むこととなるのです。
心配される進路
高校2年生の時おばあちゃんに末期の癌が見つかりました。
その頃には私は大学には行かず音楽の専門学校に行く事を決めて、沢山の専門学校の体験セミナーに通っていました。
好きなものにはとことんのめり込み、実現させるために動く人間なので、妥協せずに沢山の学校を周り進む専門学校を吟味している頃でした。
(専門学校を考えてる方はこちらの記事も読んでもらえたら嬉しいです♥☟)
音楽専門学校の選び方。 体験入学に行きまくった件。 – ラウドバンドのベース女子道
音楽専門学校は行っても意味がない??卒業してみて私が思ったこと。 – ラウドバンドのベース女子道
母はもちろんまた協力的で専門学校に一緒に行ってくれたりしていたのですが、
そんな私の進路に唯一反対したのはおばあちゃんでした。
「家族に音楽家はいないよ」
「大学には行った方がいいんじゃないの?」
と軽くですが入院の準備をしながらおばあちゃんに、両親のいないところで言われました。
好きな事だから、短大卒業という資格のとれる認可校に行くから大丈夫と話すと
「今はそう言うものなのかな」
「ななちゃんは結婚すればいいから好きな事したらいいか」と納得してくれました。(兄だったらもっと反対したのかな?)
今までおばあちゃんに怒られた事は無いし、何かを反対された事はなかったのでよほど心配だったのだと思います。
私が高校生のうちにおばあちゃんは亡くなったので、今の状況は天からみているかしら?
そうして専門学校を卒業し、日々精進しつつ今に至ります。
夢の期限
子供の頃は夢を見つけるよう促されますが
大人になると、世間からいつまでも夢を見ているな!現実をみろ!と言われる様になります。
その道で一流になれていないと、よく知らない人から馬鹿にされりして。
私はこの道を志した時に描いた道を一歩一歩進めていますが、目標を達成していくその速度は思ったよりゆっくりでした。
そしてまだ何にでもなれると思っていた時に書いた将来の夢「ロックスター」にはまだなれていません。
業種によって夢を追い続けられる年齢の期限があると思います。
バンドの世界では冒頭のTwitterでも書きましたが
- 22、3歳でやる気のない人が辞めて
- 25歳で覚悟がない人が辞めて
- 28歳で諦める人が辞めて
- 30歳まで残った人は残る。そして大なり小なりバンドの仕事を得れてる。
という感じだと思います。
毎年沢山の人が辞めていくので、この様な話がよく出ます。10年バンドをやっていてもこの様に感じます。
22、3歳の大学卒業と同時くらいのタイミングで辞める人が多く、
就職するなら25歳だって事で辞める人が出てきて、
28歳くらいで周りが結婚して子供を産みだし、将来に不安を感じ諦める人が出てくる、親の反対とかいろんな要素があると思います。
30歳まで続けた人は腹がくくれてて、どーにかしてでも足掻いてお金を音楽で得れるようになっている。
安定した収入がないと、社会に認められないですからね。
他に仕事を持ちつつも、音楽でも収入を得れるよう頑張ってる人も沢山です。
先輩方を見ていてもバンドミュージックだけで安定した収入を得るのは超超超大変な夢だと実感しています。
私は今バンド活動費をバンドで賄えるようになるかならないか、、って感じで、
ライブをすれば上がりは出るけど交通費に機材車の維持、スタジオ練習、もろもろの経費がすごーーくかかるので、
それだけで生活するなんざまだまだまだまだです。
他にサポートを頼まれたりしてお金を頂いたり。それも一番やりたい自分のバンドがあると上手くこなすのは大変です。
人の幸せはそれぞれ
23歳で辞めた元メンバーは立派に出世して家庭を築きました。
25歳で辞めた元メンバーも就職して家庭を築きました。
みんな違う路に進んで幸せそうです❤︎
私はこの世界に残りまだバンドで夢を追っていますが、
日々好きなものに打ち込み目標をこなすために努力する日々は幸せです❤︎
自分を表現できる場所がある事は喜びだし、毎日が楽しいです!!
周りの人がいるから続けられる
私が続けられるのは応援してくれる人がいるからです。
両親は辞めろという事は1度も言いません。
バンドのツアー中に高速道路で事故って、病院に運ばれたことがあります。
この事故の時も、母が新幹線で私が運ばれた掛川の救急病院に迎えに来てくれました。
しかもこの時、母は癌を患いまして、胃を切る手術をし退院してすぐのことだったのですわ。
自身が命の大変な戦いをした後に申し訳ないってめっっっちゃ思いました!(しかし一人じゃ歩けないくらいの怪我だったもんで)
いよいよ怒られるか、、、と思ったけど怒られず!!!!
運転手だったメンバーのことも責めないでくれて、その2ヶ月後にはまたツアーに出た私を止めることもしなかった!!!
原宿アストロホールでのワンマンには両親と兄にその彼女さんまで来てくださいました。
カラオケに行けば自分のバンドの曲を歌う私の写真とってくれて笑
普段絶対行かないであろう渋谷タワーレコードに私のCDを買いに行ってくれもしました。
この時はやっと形として表せたことが嬉しかったです!
一人暮らしして自立はしていても自分の生活で精一杯で旅行に連れてってあげる事もできず!
むしろ両親と出かける時は出してもらっちゃってるし、情けないっす!笑
もー両親は還暦過ぎてるし結婚して孫の1人でも拵えて安心させてあげたさはとてもあります笑
今の状況じゃ人を育てるなんてとてもできないですから。
もう一歩目標を達成した暁には、、、、なんて夢みてます。
また応援してくれてるのは家族だけじゃなくて、このブログで何度も言ってますが、ファンがいてくれるから続けられます。
ファンってずーーっと来てくれてる人がいれば、飽きたらいなくなる人も残念ながらいますが長年続けていると年々知ってくれる人は増え仲間は年々増えていきます。
私からバンドをとったら夢も目標もなく毎日どーすればいいんだろうと廃人になりそうな感じなので、ファンがいる限りはどんな形であれバンドは一生やって行く覚悟です。
これからバンドの路を志す若者へ
弁護士を志した人は司法試験に受かれば弁護士になれる。
教師を志した人であれば教員試験に受かれば教師になれる。
じゃぁバンドマンは?
バンドが売れたらミュージシャンになれる。
ではありません!
メジャーデビューをしようが、アニメやテレビ番組のタイアップをとるようなバンドになれたとしても
ズーーーーーーッとそのバンドが売れ続けるというのは難しいです。
メジャーデビューしても、インディーズで地位を築いても解散するバンドのが多いです。
その後音楽教室の先生になった人とか、
スタジオミュージシャンになった人も沢山います。
そーやって音楽でご飯を食べれる人もいれば、
私の友達なんかはせっかくメジャーにいったもののやめて音楽とは全然違う仕事についた人もいます!
メジャーだろうがインディーズだろうがずっとその地位にいれる保証はないのだ!!
私は目指したことがないので確かな事は言えませんが、スタジオミュージシャンになりたければ様々な音楽に対応できるように自分の技術を高めて確かなものにし、人脈をしっかりつくれば確証ある地位にい続けられるのかもしれません。
けど、バンドは個性と時代の流行りと運に左右されるので
これからこの道をいく人は、
長ーく険しい道になる事を覚悟して周りに心配かけることを分かった上で挑む事をお勧めします。
もし今、何にでもなれる子供の頃に戻ったとしても私は懲りずにまたバンドの路を選ぶだろうなってくらい、楽しく刺激的な毎日を送っておりますがね。
熱く長々と私事を語りましたが、
夢を追える環境にいることに感謝してます!!!!!
1バンドマンの生い立ちでした。笑