皆さんは、
わざとじゃなくて本心で行動したら、結果的に仲間外れを作ってしまった経験ってありませんか?
「利休にたずねよ」という映画を観ました。
茶人 千利休の艶めいた人生の話なんだけど、その感想!では、なくて。
そんな映画を観ながらも、私の頭の中には子供の頃の後悔している思い出が蘇ってました。
今でも思い返すと眉間に皺がより、口角が下がる。
今回は、9歳の頃にしてしまい未だに拭えない悔恨について綴ります。
優しいおばあちゃんと厳しいおばあちゃん。
子供の頃、児童館の2階にある福祉館でおばあちゃん達が茶道を教えてくれる教室が開かれてました。
どちらかと言えばバレエとかピアノとかエレガントな西洋物に惹かれていた女児だったので、自分で習いたいと言い出したのかは覚えてません。
和菓子目当てだったのか、お母さんに勧められたのか、友達が一緒だからか。。
わからないけど、やる気満々ではなくなんとなく渋いその時間を過ごしてたように思う。
茶道を教えてくれる先生は2人。
白髪を団子にゆったTHEおばあちゃんといった感じの厳しい先生と、黒髪で若く見える優しいおばあちゃん。
子供達は2グループに分かれて、それぞれ教わります。
茶道では帛紗(ふくさ)という布を頻繁に使うのですが、これがやっかいなのですよ。
まず、帛紗の独特な折り方を覚えなければならない。
帛紗の折り方を間違うと、優しいおばあちゃんは「次はここよ」と教えてくれる。
そして折った帛紗でお茶の入ったなつめや茶杓、茶碗など色んなところを拭うのですが、色んなものを拭いすぎて、全部拭えば良い感覚になってくる 爆。
でも優しいおばあちゃんは拭う時に声をかけてくれ、すんなりとお菓子をすすめる段階まで行けるのだ。
子供らがたのしみにしてるのはこの和菓子なので、気ぃ使いーな私は和菓子タイムまでスムーズにいきたい。
正座して静かに並んだ目にジッと見られているのは苦手で、とりあえず菓子を食っててもらえれば肩の荷が下りる。
あとは茶を点てるだけ。
一方、厳しいおばあちゃんの場合は帛紗の折り方を間違うと「違う!!」
としか言わない。
帛紗でいろんな物を拭う時の手の感じとかを間違うと、ピシッと手を軽く叩かれる。
左手なのか右手なのか、どっちで帛紗を持てばよいかわからなくなってしまうのだ。
すると、両手を持って動かされる笑。
早く皆に菓子を食わせねば。。と焦ると手順を抜かしてしまったりして。
隣のグループはもう「結構なお点前で」という決め台詞を放っている。。
じっと正座させて待たれる目目目と、おばあちゃんのピシッ!!に怖さだけでなく恥ずかしさもある。
厳しいおばあちゃんはお茶を点てる人だけでなく、飲む側の子供の指導も抜かりない。
ちゃんと茶碗を回して眺めて何かを感じたか、しっかり厳しいおばあちゃんはチェックしてくるのだ。
9歳の私は無骨な黒い茶碗に風情は感じられていないのに、さも感じている演技をするのがちょっと恥ずかしい年頃だった。
20年経っても拭えない出来事
幾度か茶道教室に通うと皆、思いは一つになってました。
厳しいおばあちゃんのグループには当なたりたくない!!と。
ある日、競争するかのように茶道教室の畳に早く集まりました。
早く茶道をしたい訳ではない。。
みんな、優しいおばあちゃん側のグループに並ぶに必死だったのさ。
1部屋が仕切りで2部屋に分かれていました。
優しいおばあちゃん側の畳に子供らが正座して並んでいるところに、もちろん2人のおばあちゃんは現れてしまいます。
「さー始めるから2つに分かれてね」と児童館の人が言ったのだろうか。
誰も動けず、優しいおばあちゃん側に正座して固まっていた。
誰も「そっちは嫌」とか「こっちがいい」とか言ったわけではなく、無言のそっちは嫌を露わにしてしまった。
口裏を合わせてとった行動ではありません。
厳しいおばあちゃんが嫌いだった訳でもないし、優しいおばあちゃんの方が好きとかでもない。
もちろん、おばあちゃんをいじめたい訳でも反抗したい訳でもなくただ優しいおばあちゃん側で楽をしたい一心でした。
たぶんみんなそうだった。
けど、みんなから無言の拒否を受けた厳しいおばあちゃんは、どんなにか傷ついたことでしょう。
おばあちゃんを気遣った「どっちでやってもお菓子食べれるよ一。」という児童館スタッフの一声で、仲良しのRちゃんが動きました。
厳しいおばあちゃんにRちゃんは一番怯えてたように思ってたのだが、、、
心がとっても優しくて動ける子だったのだ。
Rちゃんと仲良いことを知ってる児童館の大人に「じゃーななちゃんもこっちおいで!」と言われ、私も厳しいおばあちゃん側へと移りました。
できれば自分から移りたかった。。。。
ってか、おばあちゃんが入ってきたときに移ればよかった。。。。
その日の厳しいおばあちゃは、ちょっと憂いを帯びた優しさで教えてくださいました。
ほろ苦いお茶は、ものごっつ苦く、結構なお点前ではなかったよ。
期間限定の教室だったのか、いつどう辞めたのか、終わったのか覚えてません。
このおばあちゃんたちとその後、交流することもなかったように思います。
ただこの苦い後悔は未だに残っており、
むしろ9歳当時より、悔恨の念を感じます。
優しいおばあちゃんは、その時間を子供たちと楽しく茶道の大まかな体験をさせてくれていました。
一方厳しいおばあちゃんは、使命を持って子供たちにしっかり身につけさせようと指導してくれていたのでしょう。
スタイルが違っただけなんだけど。
詫び寂びも、おもてなしという言葉さえ知らない子供に茶道を教えてくれるなんて、子供が好きだったからなんじゃないかしら。
すごくおばあさんに見えたけど、実は今の我が母くらいの歳だったのかな。
生きているかわからないけど、ごめんね厳しいおばあちゃん。
そして気を使ってその後も気まずかったであろう優しいおあばあちゃんもごめんね。