祖母の「ばあばあ」が亡くなりました。
享年99歳。
ばあばあが亡くなった病院は、私が生まれた所だそうです。
お通夜で受付のお手伝いをしながらお経を聞いていたら、ばあばあの声が頭の中を巡って、思い出とともに涙が溢れました。
たくさん聞いた波乱万丈なばあばあの人生のお話と、思い出を忘れないよう綴っておこうと思います。
ばあばあとの思い出
我が家に遊びに来ると作ってくれた美味しい魚の煮付け。
私の小学校の友達が来ると、おやつに出してくれた焼きおにぎり。
私の友達にも評判でした。
ばあばあはカレーを箸で食べ、
「ポケモン」のことを「ボケモン」だと思ってて、
名探偵コナンが好きでビデオをかけると喜びました。
私の愛フェレットのことを「イタ公」と呼び、
愛ハムスターのことを「ネズ公」と呼んで、
愛犬のことは「りくちゃーん」と呼んでいました。
リビングの地べたに座っては、前屈して身体が柔らかいことを自慢してて、折れちゃわないかややハラハラもしたものです。(私の体の柔らかさは、ばあばあ譲りなのかもしれない。)
お金持ちな祖母ではなかったけれど、プレゼントが好きで色々もらいました。
手作りのお手玉や折り紙で作った着物。
切符やアイスを買った際に出た釣銭も、よく私の手にねじ込んでくれました。笑
たくさんしてくれた昔話は、どれも興味深く引き込まれます。
ばあばあは大正生まれで昭和から平成と波乱万丈な人生を生きたので、思い出話の締めの一言がいつもエモいのです。笑
「みんな死んじまった。」
「みんな燃えちった。」
っと。 (お家が火事になった為)
ばあばあから聞いたエモい人生のお話を思い出して綴ってみます。
ハチ公の話
小学生の頃に私がハチ公物語にハマると、実際に生きてるハチ公と触れ合った話をよくしてくれたものです。
ばあばあは渋谷で奉公として働いてる時、駅にいるハチ公に餌をやったり撫でたりしたらしいです。
ハチ公は物語の通り駅で大人しくしており、みんなから餌をもらい可愛がられていたという。
ハチ公が死んだ時は、渋谷の駅にお供え物がたくさんで凄かったのだとか。
私が子供の頃、渋谷駅にはハチ公ショップがありました。
駅地下の床に描かれている肉球の足跡を辿るとショップにたどり着けた記憶があります。
父が渋谷に勤めてたので、会いにいきがてらハチ公ショップでぬいぐるみと犬の家系図を買ってきて、後日ばあばあに自慢しました。
しかし、「そうか」で終わって興味を引けなかったのを覚えてます笑
ハチ公の思い出を語ったあとは、いつも妹たちをおぶって遊んだという話をしてくれました。
サイパン島で戦死した旦那さんのお話
私の祖父(じいじい)の前のばあばあの旦那さんは戦争でサイパン島で亡くなりました。
戦時中に送られてきた検閲で黒く墨でところどころ消されているお手紙を見せてもらったことがあります。
私の叔父さんと叔母さんがまだ小さいうちに戦死してしまったらしいので、可哀想だとよく言ってました。
そういう人はたくさんいた時代なんだろうけど、20歳そこそこで未亡人になり2人の小さい子を抱えて、ばあばあも大変だったろうと思います。
のちにばあばあのお家は火事になってしまい、お手紙など思い出の品が全て燃えてしまってからは、戦時中のお話の後には「全部燃しちまった」が語尾につくようになりまして、なんとも言葉を返せなくてスーパーエモかったっす。
ばあばあの矛盾している怖い話
思い出話だけでなく、怖い話もよくしてくれました。(頼んでないけど)
かつて住んでたマンションの私の部屋は、兄も私もよく怖い夢をみたり金縛りにあったりして母の寝てる部屋に逃げ出すくらいなんだか怖い部屋だったのです。
知らないおじさんがドアのところに立っているのを見て(幽霊なのか夢なのか、、笑)、私がばあばあに怖くて寝れないと言ったら、
「大丈夫だよーおばけなんていないんだから!
死んだら死んだままだよ!
でもばあばあも前にベットに座って窓を見てたら女の人が通ったから挨拶したんだけどよー、よく考えたら窓の外に廊下ないしそういやー8階だったなー」
って言われて、さらに寝れなくなりました。
ばあばあは寝るとき「うぅーーん」って唸ることがあったのだけれど、先に寝てしまったばあばあの唸り声を聴きながら、寝れなくて蠢いた思い出ー笑
またアンビリーバボーか何かの番組を見て、地震が起きたらどうしようと怖くなった私には、
「大丈夫だよー。ばあばあが赤ん坊の時、東京大震災起きてしばらく経つからそろそろ来るだろうけどなー」
っと何も大丈夫じゃなかったりして。笑
おじいちゃんに説教するばあばあ
私が高校生の時に父方の祖父母の介護が必要となり、一軒家に引っ越して同居することになりました。
しかし、引越しの日におばあちゃんが亡くなってしまい、葬式の準備と引越しとで我が家は大変だったのです。
その時も、ばあばあが来てくれて助かりました。
食欲旺盛なおじいちゃんがボケて、愛犬の餌を食べてしまったり、冷凍食品を冷凍庫からそのまま齧っていたりと大変だったのですが、
父や母が言ってもキレちゃうおじいちゃんが、ばあばあから説教されている時はおとなしかった笑。
ばあばあは、優しいから
「おじいちゃん可哀想だ」
「お母さんも大変だ可哀想だ」
とよく慈悲ていて、
家族が仕事や学校で家を空けてる間も、おじいちゃんのお話相手になってくれました。
その後母が癌になった時には、「お母さんが可哀想だ、ばあばあがなれば良かったのにな」と言われてどう返せば良いのかわからなかったけど。
とても慈悲深いばあばあでした。
みんなのばあばあ。
お葬儀では、ばあばあ譲りの大きなお目目の親戚が並んでました。
ばあばあには子供が4人、私含め9人?孫がいます。
ひ孫もたくさんいます。
みんなそれぞれが、ばあばあとの思い出を持っているんだなーと。
私の知らない、ばあばあの話もあるのだろう。
ばあばあは、戦死した旦那さんと恋をして、
その後じいじいと恋をして、
こんなにもたくさんの人間が血を受け継いで生まれたと思うと、ロマンがあるぜ!!
残念なことに大きな目はばあばあに似なかったけど、地黒なとことかズボラなところは受け継いでるので笑
頭の小ささも似れたかしら 笑
私も将来、次に繋げられたら良いな。
お葬式では、従兄弟の息子ちゃんが懐いてくれて悲しみよりもホッコリでした♡
優しい男の子でとても可愛い。
「おそろい」と言って半分くれた集めたビンの蓋。笑↓
可愛いので思い出として、とっておこう笑
ばあばあが繋いでくれた縁に感謝ー!!!サンキュー!